第77回<平成7年>全国高等学校野球選手権

和歌山大会

<準決勝> 田辺 4-3 伊都
  1 2 3 4 5 6 7 8 9
田辺 0 0 1 0 2 0 0 0 1 4
伊都 0 0 0 1 1 0 0 1 0 3

 犠打に全得点をからませて確実な攻撃をした田辺が、伊都を振り切った。
 田辺は同点で迎えた5回、先頭の講初が左前打で出塁。犠打、四球と中平のバント安打で一死満塁とし、浅山の投前スクイズが野選を誘った。1点を入れてなお満塁に、大谷も初球スクイズを決めた。3回の先取点も浅山のスクイズ。同点に追いつかれた直後の9回は、打撃妨害で出た走者を犠打で送り、亀田将が中前に適時打。三たび勝ち越した。鍛えられたバントが光った。主戦浅山は、内外角を投げ分ける頭脳的な投球で相手打線を4安打に抑えた。
 伊都は4回、西端の左越え本塁打で同点。8回も山下、小野寺が長短打を連ね、2度も追いつく底力を見せた。初先発の鈴木も37人の打者を6安打に抑える好投だったが、本格的な投手になって1ヶ月余りで、バント処理に慣れていなかったのが唯一残念だった。

<準決勝> 高野山 4-0 箕島
  1 2 3 4 5 6 7 8 9
高野山 0 0 0 1 0 0 1 2 0 4
箕島 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0

 高野山が大会新となる11犠打で着実に得点し、左腕の新田が緩急をつけたカーブで箕島打線を散発5安打に完封した。
 高野山は4回、二塁打の新田をバントで送り、安井の中前適時打で先制。7回には振り逃げ三振の太田が捕手の一塁悪送球で二進。バントとスクイズを連発し、敵失も誘って加点した。8回は一死満塁から田代の内野安打と松岡の右犠飛で決定的な2点を挙げた。全得点に犠飛をからめる堅実な攻撃が目立った。
 箕島は相手の犠打攻勢に内野陣が浮足立ち、失策が失点につながった。1点を追う4回と6回、ともに二死二、三塁の好機をつくったが、後続の鋭い当たりが投直、二ゴロとなる不運もあって、無得点、9回一死から代打中尾が三遊間を抜き、出塁して粘ったが、後続が併殺打となり、万事休した。

<決勝> 高野山 1-7 田辺
  1 2 3 4 5 6 7 8 9
高野山 0 0 0 0 0 1 0 0 0 1
田辺 2 0 0 0 0 1 3 1 × 7

 技巧派同志の投手戦との予想に反して、田辺の積極攻撃が功を奏し、悲願の甲子園出場を手にした。
 3回戦からここまで、田辺は2点差以内の試合を、浅山の好投で勝ち進んできた。「最後の決勝だけは、打線の力で浅山を楽にしてやろう」。この気持ちが一回に表れた。
 四球、犠打、四球で一死一、二塁。監督の愛須のサインは重盗。「相手はモーションが大きい。三盗はやりやすい」。4番山本和の初球。思い切ってスタートを切った二塁走者は楽々三塁へ。続く2球目を山本和が中前に打ち返し、先制。スクイズで競り勝った前日とは対照的な積極策だった。
 高野山は浅山の低目をつく丁寧な投球に、内野ゴロの山を築いた。5回までに7個。準決勝までの4試合のうち3試合は先制してきた。後半までリードを許したのは今大会これが初めて。
 6回、じりじりした気分を一発が吹き払った。一死無走者。「ストライクを取りに来る球をたたこう」。笹本は初球を狙った。直球を思い切り引っ張った。打球は右翼スタンドに飛び込んだ。ベンチに大声が戻った。追撃開始かと思った。
 相手に傾きかけた流れを田辺が再度、引き寄せた。ここでも、果敢な走塁だった。6回、無死から四球で出た山本和が、バント失敗などで二死となってから二盗。捕手の送球がひとテンポ遅れた。さらに四球亀田将とともに重盗。中平の内野安打でかえり、失った1点をすぐに取り戻した。
 田辺は7回に3点。8回に1点を加え、試合の流れを完全に握った。
高野山は、主戦新田に疲れがあったのか、準決勝で見せたほどの好投が見られなかった。田辺の足をからませた積極策で投球のリズムを狂わされ、甘い球を狙われた。しかし、最後まであきらめない、さわやかな野球を見せた。(以上朝日新聞より)

全国大会

<1回戦> 田辺 2-12 韮山
  1 2 3 4 5 6 7 8 9
田辺 1 0 0 1 0 0 0 0 0 2
韮山 0 0 3 2 0 5 0 2 × 12

 韮山の待球作戦が功を奏し、田辺の投手陣を崩した。3回は2四球と安打で一死満塁とした後、深沢の左犠飛、山田健の右中間三塁打で3点を挙げて逆転した。試合を決定づけた6回の5点も4連続四死球で押し出し、さらに山田健の2点安打などで奪った。裏を返せば、各打者が打つべき球、待つべき球を心得ていたといえる。
 田辺は1回、山本の安打で先手を取った。4回は小谷、山本の長短打で差を詰めた。しかし、主戦、浅山の制球難が誤算となったうえ、守備陣もピンチで浮足立った。
 6回、田辺の愛須監督はエース浅山を遊撃手にまわし、亀田将をマウンドに送った。浅山は5回まで、被安打6、5四死球で失点5と、乱調だった。
 「応援のすごさもあって、浅山は周りが見えないくらいのみ込まれていた。一度マウンドから降ろして、落ち着いたらまた投げさせようと思ったんです」。しかし、それが裏目に出てしまった。亀田将は連続4四死球で押し出し、さらに適時打も浴びて、一死も取らずに、再びマウンドを浅井に渡した。「重しをつけられて、投げているような感じでした」。浅山を落ち着かせるはずが、亀田将自身も周りにのみこまれていた。
 甲子園での初勝利はならなかったが、今年、田辺は学校創立百年目。その年に初出場を決める快挙だった。愛須監督は「僕自身もプレッシャーを感じた。みんなを落ち着かせることも出来なかったし、判断ミスもしてしまった」と、残念そうに振り返っていた。