古川 勝

 水泳和歌山に、大選手、名選手、数々ある中で、特に異才を放っている選手はおそらく古川勝選手であろう。殆ど無名の選手が高校入学以来、突然頭角を現し、あれよ、あれよと言う内に、県のチャンピオン、近畿のチャンピオンとなり全日本を制し、果ては、オリンピック金メダリスト、世界新記録保持者にまで急成長した、異才の中の天才選手である。

 古川選手は負けず嫌いで、人に物怖じせず吾が道を行く気質で戦わずして敵を圧するレース度胸と面構えはさすが大選手の風格がある。反面、極めて繊細、ち密、研究心旺盛、豪放磊落そのもの、これでこそ新泳法、潜水泳法を僅か数年にして、マスターした気塊は古川君ならではの、なせる技であろう。

 以下古川選手の選手歴、競技歴を辿る事にしよう。

昭和11年1月6日

 

橋本市古佐田に生まれる。

自転車販売業を営む、父(久芳)、母(政子)の次男として生まれる。子供の頃から遊び場は紀ノ川で川遊びの中で水泳を覚える。

昭和24年

 

中学2年

水泳部に入部し、紀ノ川や前畑記念プールで本格的水泳練習を始める。

昭和25年

 

中学3年

和歌山県選手権大会100・200平泳優勝。
全国ジュニア・レクリエーション大会200平泳3位

昭和26年

 

橋本高校1年

和歌山県選手権大会100・200平泳優勝
近畿高校大会 100平泳優勝 最終予選会5位
関西選手権 100平泳優勝 200平泳優勝(2.31.0)
全国高校大会 100平泳優勝1.17.4(日新) 200平泳優勝2.34.6(日新)
国民体育大会 100平泳優勝(日新) 200平泳優勝

昭和28年

 

橋本高校3年

  全国高校大会 100・200平泳優勝
  国民体育大会(高知) 200平泳優勝
  日本選手権 200平泳3位

昭和29年

 

大学1年

第2回アジア大会予選 200平泳優勝 2.35.6(日新)
第2回アジア大会 200平泳2位 2.42.0
ハワイ招待国際大会 100平泳 優勝 200平泳 優勝
日本選手権 100平泳 2位 1.19.4 200平泳 優勝 2.41.4
全日本学生大会 100平泳 2位 1.12.6 200平泳 3位 2.41.2

昭和30年

 

大学2年

 日本選手権 100平泳優勝 1.12.2 200平泳ぎ 優勝 2.36.0
 日米大会(神宮) 100平泳 優勝 1.10.50 200平泳 優勝 2.33.7(世新)
 日米大会(大阪) 400メドレーリレー 優勝 4.15.0(世新)(長谷、古川、石本、古賀)
 全日本学生大会 100平泳優勝 1.10.6 200平泳優勝 3.34.9

昭和31年

 

大学3年

日本選手権 100平泳 優勝1.10.17 200平泳 優勝2.35.0
全日本学生大会 100平泳 優勝1.10.7 200平泳 優勝2.33.2(世新)
第16回メルボルンオリンピック 200平泳 優勝金メダル2.34.7(大新)

昭和32年

 

大学4年

日本選手権 100平泳 優勝1.14.7 200平泳 優勝2.34.7
全日本学生大会 100平泳 優勝1.13.3 200平泳 優勝2.41.0
400メドレーリレー 優勝4.17.8(世新) (富田、古川、石本、石原)

昭和33年

 

第3回アジア大会日本選手団旗手

 

第3回アジア大会(東京)

200平泳 優勝2.44.0
400メドレーリレー 優勝4.17.2(世新)

ロサンゼルス招待国際大会

100平泳 優勝1.14.2 200平泳 優勝2.44.3
400メドレーリレー 優勝4.16.7(世新)(長谷、古川、石本、古賀)

ワイキキ・ナカマ記念大会

100平泳 優勝1.14.9 200平泳 優勝2.46.36
400メドレーリレー 優勝4.17.2(世新)

 以上古川選手の戦跡は見事なものである。得意の潜水泳法を駆使して見事な成績を収める一躍世界の檜舞台に登場した。日本水泳界の雄、日本大学をして日本一水泳部の全盛期を確立した。その努力と活躍は大変なもので古川選手ならではとの思いを新たにする。

 然しこの見事な潜水泳法は僅か2年後FINA規約改正に伴い禁止されることとなった。まことに残念至極と言わざるを得ない。かくして古川選手のトレードマークの潜水泳法も2年の短期間でピリオドを打たざるを得なくなったのである。

 古川選手が敬愛する大先輩の前畑秀子選手とは奇しくも同郷、しかも隣組の橋本市古佐田生まれで二人は豆腐屋の長女前畑さんと自転車屋の二男坊の古川君と同じ様に紀ノ川で遊び、紀ノ川で水泳を覚え、同じく平泳ぎ選手として、共に、世界新記録保持者となりオリンピックチャンピオンの王座に着いた。実に宜なるかなと言わざるを得ない。只大先輩前畑さんより2年も早く、平成5年50才半ばの若さで此の世を先立つ運命となったとは何たる皮肉か?……いかにも早や過ぎる。栄光に輝いた彼は大学卒業以後、次の栄光を夢見て、大丸百貨店に入社今後は人生のチャンピオンを夢見て頑張っていたさなかの出来事だった。正に壮絶な人生の幕切れであった。それにしても残念でならない。大先輩前畑さん共々冥福をお祈りする次第である。残された友子夫人、遺児の前途多幸を願って筆を置くこととする。

(紀州・和歌山水泳史誌 P201~ 池田岩夫著)